「学業だけでなく、人間としても成長してほしい。この塾はそれを叶えてくれる。」
6月の懇談会にはほぼ全てのご家庭にご出席いただきました。(貴重なお時間をありがとうございました!)懇談会では、やる気を育む接し方について様々なお声をいただきました。覚悟を決めて実践され、お子様のやる気の高まりを実感されているという嬉しいお声も複数ありました。あるお母様からは、私たちにとって最大級に嬉しい冒頭のようなお言葉までいただきました。
一方、やる気を育む接し方が良いのは分かるが、実践することに難しさを感じるとのお声もありました。「うちの子にはそもそもやる気が無く、させられるのをただ待っているように感じる。」そのようにおっしゃるのです。このような時、難しさを感じられることは無理もないことだと思います。実は、そのようなお子様への支援は特に難しいものであることを、やる気研究の第1人者であるデシ博士も認めています。そのことについて、博士は著書の中で以下のように述べています。
教師や管理職が、人は選択を望んでいないと言うときには、自分の管理的行動を正当化するためにそう言っている場合もあるが、正しい指摘をしている場合もある。しかし、もし彼らの指摘が正しいならば、彼ら自身か、あるいは人々が以前に接した親、教師、管理職たちが、管理的で彼らに選択権を与えなかったからであろう。権威ある地位の人が管理的であると、支援されるはずの人たちからやる気を奪うことになるのである。
これらすべてが意味しているのは、自律性を支援することが、管理されることに慣れている人に対しては特にむずかしいということである。したがって、忍耐強くなる必要がある。生徒や部下と共に、彼らの本質にとって基本的なもの、より望ましい結果に結びつくようなものを呼び起こすように取り組まなければならない。彼らが生き生きと、興味をもち、責任感をもって課題に挑戦することに立ち返るよう支援する必要がある。
エドワード・L・デシ、人を伸ばす力、P.206
このように、支援が難しくとも管理や統制するのではなく、忍耐強くなるべきだと博士は訴えます。耐えることは本当に辛いことです。ついつい統制や管理に走ってしまいたくなるお気持ちは、痛いほどに分かります。ただ、博士は厳しい言葉を用いて警鐘を鳴らします。管理や統制してしまうことは、罠に陥ることだと。
魅力的で積極的な生徒の自律性を支援するのは容易であるが、受け身だったり攻撃的な子どもはまるで統制されることを求めているかのうようだとは、教師からよく耳にすることである。そして、子どもが統制されることを求めているとき、彼らを統制する罠に簡単に陥り、そのことでさらに、彼らの発達が妨げられる。
エドワード・L・デシ、人を伸ばす力、P.247
博士が管理・統制することを認めないのはなぜでしょうか?それは、やる気を削ぐだけで、育むことにはつながらないからなのです。そしてその結果、人としての自然な発達が阻害されるからなのです。なぜ、お子様は自分の学習に責任を持とうとしないのでしょうか?なぜ、お子様はたださせられるだけなのでしょうか?なぜ、お子様は仕方なく嫌々するのでしょうか?その答えはここにあります。
デシ博士の示すやる気の科学は、私たちの実感とも非常に一致します。事実、やる気を失ったお子様からは、必ず管理や統制の痕跡が見つかります。逆に、デシ博士のことを知らずとも自然な発達を支援してこられたご家庭のお子様で、自分の学習に責任を持たず、たださせられるがままに、仕方なく嫌々するようなお子様を、私たちは未だ一人も見たことがありません。自分の学習に責任をもち、自分から意味ある学習をする。彼らにとって、それは当たり前のことなのです。
やる気を育てましょう。そして、責任ある学習をするお子様、生き生きと学習するお子様を育てましょう。それが私たちの提案であり、学習の問題を根本的に解決する希望の道だと思います。その道を、お子様と一緒に、そして、親御様とも一緒に歩んでいきたいと思います。