普段励んでいることで思わしくない結果になることはよくあります。その改善を図ろうと思えば何をする必要があるのでしょうか。それは根っこにある問題は何かという視点を持ち、その問題の解決に向けた行動を取ることだと思います。
私は高校でサッカー部に所属していました。ある日、練習試合で0-2で負けました。点数だけを見れば大差ではないものの、内容は全く刃が立たず完敗でした。ほとんどの時間守るのに精一杯で、相手のミスに助けられてなんとか2失点で終えられたのでした。
次の日、練習前にミーティングが開かれました。試合の反省と今後の課題について話し合うためです。いつものように試合の振り返りが始まり、代わり映えのない発言がされました。もっとパスが丁寧だったら、ディフェンスのカバーが早かったら、あの時シュートを決めていたら勝てたかもしれない、などなど。もしもこうだったらという仮定の話ばかりで、なぜできなかったのかという根っこにある問題に目を向けた発言はありませんでした。
ミーティングの終わりにさしかかり、キャプテンが私に意見を求めてきました。そこで私は自分の考えを述べました。
「負けたのは自分たちに力がなかったからだと思う。走力も、筋力も、ボールを扱う技術も全てにおいて相手が上だった。だから負けたのだと思う。なぜパスを丁寧に繋げられなかったのか。なぜディフェンスのカバーは間に合わなかったのか。なぜチャンスで点を決められなかったのか。それは体力的にも技術的にも不十分だったからだと思う。だから負けたのだと思う。では勝てるようになるにはどうすればいいのか。答えは単純だ。体力をつければいい。技術を高めればいい。そしてそのためには、走るしかない。筋トレするしかない。もっと練習する以外にないのではないか。」
そう言い終えると、しばらく沈黙が続きました。それほど私の意見は問題の本質を突いていたのだと思います。そのうち何人かがその通りだなと静かに同調の声を発しました。そしてやるべきことをやるしかないとキャプテンが結論づけ、ミーティングは終わりました。
さて、取り組んでいることがうまくいかなかったとき、ミーティングの話で出たように、どうすればよかったのかということばかり見ようとする人がいます。うまくできたかも知れない事柄を挙げ、もしもそれができていたらもっと良い結果だったと思おうとします。自分は十分に力を備えていた。でも今回は運悪く力を発揮できなかっただけだと思い込もうとします。
しかしそんな振り返りをしたところで根本的解決には繋がらないと思います。見るべきは根っこにある問題です。なぜうまくできなかったのかを考えるべきです。そしてその問いに真摯に向き合うと、とても当たり前な答えに辿りつきます。それは、「自分にはそうするだけの力がなかったから」です。すると、解決するためには何をしなければいけないかは自明となります。できなかったことができるようになる力をつけることです。
このようなことはテスト後の生徒との会話でも感じます。「解ってたのに間違えた」「ここができてたら◯点だった」「計算ミスをしたので次はしないようにしたい」などのような言葉をよく聞きます。彼らの悔しがる気持ちはよくわかります。もっとできるようになりたい気持ちも伝わってきます。しかし、もっとできるようになりたいと思うのなら、根っこにある問題は何かを見てその問題解決に向けた行動を取るようにしてほしいと思うのです。