繰り返すこと。それは、学習の中で多用することの一つだと思います。生徒には、ぜひ繰り返し練習してほしいなと思います。ただ、同じ繰り返し行動であっても、その行動の中身は生徒によって大きく違います。ここで特徴的な二人の生徒の繰り返し行動を見てみましょう。
Aくんの繰り返しは、その1回1回が自分を試すテストです。何が分かっていて、何がまだ分からないのか。Aくんは繰り返しの中でそれを見極めようとします。分からないことを前にして、彼は立ち止まってじっくり考えます。どうすれば今回分からなかったことを、次に分かるようにできるのか。Aくんにとって重要なのは分かるようになることであって、繰り返しの回数は大した意味をもちません。ですので、明らかに分かることはいちいち繰り返しませんし、できればあまり繰り返さなくても良いように、知恵を絞り工夫します。
Bくんの繰り返しは、ワークやノートといった成果物を完成させる作業です。分からないことについて立ち止まって考えることはありません。そんなことをしていては進まないからです。ですので、さっさと解き方を教えてもらったり答えを写したりして次に進みます。Bくんにとって繰り返しの回数はとても重要です。なぜなら、A+の評価を得るためには決められた回数繰り返す必要があるからです。明らかに分かることでも繰り返さねばなりません。だから、余計なことは考えずとにかく繰り返すことだけに専念します。
一言に繰り返すとは言っても、これだけの違いがあります。二人のうち、繰り返しを通して理解を深めたり、勉強方法を改善したりしていくのは、ご想像の通りAくんです。Bくんのような生徒は繰り返しを終えても成果物が完成するだけで、ほとんど理解が深まっていないことさえ珍しくありません。
なぜ二人の行動はこれほどに違うのでしょうか?その違いの根本は、心にあります。動機づけが違うのです。Aくんの繰り返し行動は自律的な動機づけから生じているのに対して、Bくんのそれは統制的な動機づけから生じています。
自律的な動機づけから繰り返し行動をとる時、その行動の主な目的は身につけることです。彼らは、身につけるための手段の一つとして繰り返しを用います。それは、手段の一つでしかありませんので手段を選ぶ自由があります。他により良い手段があるならば繰り返すことにこだわりません。身につきさえすれば、手段は何でも構わないのです。そのため、Aくんのような行動が生じます。
一方、統制的な動機づけから繰り返し行動をとる時、その行動の主な目的は報酬を得たり罰を回避したりすることです。人の行動をコントロールしようとする統制者は、相手をコントロールするために報酬や罰を用います。(最もよく用いられるのは、叱ることだと思います。)すると、ただただ報酬を得たり罰を避けることが目的となってしまうのです。統制者の目的が身につけさせることではあっても、統制される者の目的は身につけることにはなりません。そのため、Bくんのような行動が生じます。
統制的な動機づけで人を動かすことはとても簡単なので、それに頼ってしまいがちです。ただ、「取り入れ」を引き起こす危険性を孕んでいることには留意する必要があると思います。取り入れが生じると、報酬や罰がなくても行動するようになります。一見良いことのように思われるかもしれませんが、その行動はBくんの行動のように表面的なままです。「しなければならないから。」そんな理由で、意義を感じているわけでもない行動に縛られ続けるのです。
お子様の繰り返し行動は、いかがでしょうか?